気取った道化に価値は無い


 執務室に積まれた郵便物に、成歩堂は眉を潜める。
仕事上の封書も何通が含まれてはいたが、どうみてもそうでない物が多い。淡い色の可愛らしい封筒や、妙にキラキラと眩しいハガキの類が大半を占めていた。
 紙媒体の減少が叫ばれている昨今、それでもこんなに贈られてくるものかと感心する。
「活動は止めたのに、こうして手紙をくれるファンには頭が下がるよ。」
 珈琲を入れて戻ってきた響也は、凝視していた成歩堂にそう告げる。
「ふうん。」
 嬉しそうな響也に無関心を装い、(それでも手にとってしまうアタリ、興味があるのは見え見えなのだが)目についてものを摘み上げてみた。
 流石に封書は、他人宛に来たものを勝手に開ける訳にはいかないが、ハガキの方は嫌でも目に入る。
 
『抱いて! 抱いて! 抱いて! 私のバージンはアナタのものです。』 

 ピンク色のペンで書かれた言葉に絶句する。みぬきもこんなファンレターをしたためるのかと思うと目眩がした。

『愛してる! ガリューがいないなら世界なんて破滅してしまえばいい!』

「熱烈だねぇ…。」
「うん、情熱的だと思うよ。」
 慣れというのは恐ろしい。響也はこの程度に文面ではびくともしないらしい。免疫のない中年親父である自分など、平気な振りをしつつ内心ドキドキだったりしているというのに。
 響也は成歩堂の手から一枚だけハガキを抜き取る。周囲にキラキラしたシールが張り巡らされ、真ん中に縦書きで文字が書き添えられていた。
「『私の全てを貴方に差し上げます。周囲の人間達には絶対にあげません。貴方だけです。』…だって、何をくれるんだろうねぇ。」
 わざとらしい流し目を贈る青年に、成歩堂はハハハと嗤ってみせた。
「…貯金とか土地とかだといいねえ。現金も大歓迎さ。」

 夢も浪漫もない。
 
 にべもなく吐き捨てて、響也は不機嫌そうに成歩堂を睨んだ。
澄んだアイスブルーの瞳が、力強さを増せば一層輝きを増す。磨けば磨くほどに、洗練され美しく輝く、正に宝石そのものだ。
 但し、どんなにお金を積もうとも買うことなど出来はしないもの。その(唯一無二)が自分を睨んでいるとなれば、それが成歩堂の優越感を擽る。
 笑顔であろうと、怒っている表情であろうと、淫らなものだろうと。それは成歩堂にとって意味をなさないものは、ひとつとしてない。どれも全て、自分を惹きつけてくれる。

「現実主義者と言って欲しいんだけどね。」

 だから、成歩堂はくくっと喉を鳴らして響也の背後に回り、手からファンレターを取り上げた。(何するんだよ。)と声を荒げる響也を無視して、手近にあった引き戸の中に滑り込ませる。

 響也くんのファンであるのなら、見る目は確かだからそれだけで価値はある。
 だから、君の事は嫌いじゃないし、またひとつ違う彼を引き出してくれた事に関しては大変感謝している。でも、出番は此処までにしておいて欲しい。僕は他の表情も見たいんだ。
 
 嫌がらせだと誤解している響也はむっとした表情を成歩堂に向けた。それでも、動じる事なく耳元に成歩堂は顔を近付ける。
 腰を抱き込む様にして、警戒している相手の動きを牽制した。
ね。と言えば、何と答える。
「…でさ、君は何が欲しいの?」
「何それ、ずるいだろ。聞いていたのは、僕だ。」
 響也の表情が、怒りから戸惑いに変わっていく。
 検事として法廷に立っている時とは違い、普段の響也は表情がすぐ顔に出る。それは、彼が素直だと言う事だけれど、気持ちが直結で、直接の言葉や態度に出るってものでもない。
 一筋縄ではいかないアタリも、男心を擽られるのだけれど。

「君の欲しいものを知りたいんだけど、何処がいけないかい? 僕が持っているものだったら何でも君にあげるよ?」

 ぐっと、響也が息を詰めるのがわかって、成歩堂はほくそ笑む。
響也とまともに顔を顔を合わせたのは一ヶ月ぶり。電話では会話は交わしていたものの、キスなし手すら握っていない清い交際状態。俗物と言われようとも、正常な成人男性であれば、欲しいものなど決まったものだ。
 何が欲しいかと言われれば、自分ならば即座に響也と告げられるのに彼は言えない。
 欲しくない訳じゃなくて、素直に言葉に出せないだけだ。
 じわりじわりと追い詰めて、どうしようもない状態に追い込んで、消え入るような声で告げさせるのも大変に美味しいが、たまには、『欲しい』と率直に告げて欲しいなぁと思ったりもする。
 今だって、頬を紅潮させつつも、肝腎な言葉は出て来ない。
 こうして身体を密着させているのだから、心臓の鼓動がどれほど早くなって、体温が上がっているかなんて、それこそ手に取るようにわかるんだけどね。

「…別に、欲しいものなんて…」

 ほら、想像した通りの答え。
「もう、いいだろ放せよ。僕はやりかけの手紙の整理をするんだから。」
「うん、ファンレターだね。でも、普通検事局に送られてくるものなのかい?」
 動きを封じるだけの手にゆっくりと力を入れていく。指先ですべらせれば、腕の中の身体がビクリと跳ねた。
「ちが、違うよ。マネージャーが事務所宛に来ていたものを持って来てくれただけで、普通なら…「じゃあ、此処で仕訳しなくてもいいんじゃないかな?」」
「…違、だから…。」
 言い訳という衣と、身体を覆う布をゆっくりと引き剥がしていく。止めようとして腕を掴んでくるけれども、少しだって力が入っていない。
「何が違う?」
「だから、ちょ、何処触って…放せってば…。」
 捩る身体をギュッと抱き締めてみたりして、彼の絹糸みたいな髪が額を叩く感触が心地良い。
「ずるいな、質問に答えてないよ?」
「アンタが答えさせて、くれないんだろ!」
 切れ気味で、声が上ずる。
 
「…自宅、ならいいから、離して…。」
 
 小さな小さな呟きに、成歩堂は返事の代わりに項に口付けを落とした。


 入れてくれた珈琲を飲んでなかったなぁなとど、冷静に思い出したのは、響也のマンションで幾度か睦み合った後だった。

 大人のお付き合いは、狭い上に愛娘という制約がかかる成歩堂のアパートよりも、もっぱら響也の自宅、もしくは成歩堂なんでも事務所を使用する事が多い。
 ホテルを利用しないは成歩堂の経済問題故だ。特に、こういう急な展開の場合は一人暮らしである響也の家へ出向く事が圧倒的に多い。
 成歩堂は全裸のまま未だにベッドに寝転がり、普段お目に掛かる事もない上質なスシーツの肌触りを楽しんでいる。その視線の斜め下。響也は床に脚を伸ばして座っていた。
 白いローブを羽織り、自分だけに入れた珈琲を飲んでいる。
 真っ白いマグカップを両手で抱えるようにして、少しづつ唇をつけていく仕草は(きっと熱いんだろうけど)とても可愛らしい。ニコニコしながら眺めていれば、ふいに顔を上げた。
「事務所に泥棒が入ったらしくてね。」
 唐突な話に一瞬理解することが出来ない。しかし、響也は成歩堂の顔に察したのだろう、直ぐにこう説明を続けた。
「…さっきの、随分前のさっきだけど…ファンレターの話。」

 検事などやっていればそうなのかもしれないが、こういう部分で響也は聡い。
 場を読まない行動をする時など、敢えてその能力に蓋をしているかのようだと成歩堂は思っている位だ。王泥喜の毒舌といい響也の天然といい、今時の若者はそんな風にバランスをとっているのかもしれない。

 今度はコクリと頷いてやれば、視線を珈琲に戻して話しを続ける。
「芸能事務所に入ったはいいけど、そうそう金目のものが置いてある場所でもないしね。あちこち探した挙げ句に、散々部屋中をひっくり返してくれたらしくて、ファンレターの置き場もないんだそうだ。」
「それで、オフィスの方に?」
「窃盗犯には、価値がないかもしれないけど、僕達にとっては凄く大切なものだからね。」
「ふうん。」
 響也の気持ちはわかるけれど、自分以外のモノに対して(大切)なんて言われるとやっぱり面白くない。色々抱えているのはお互い様で、それでもこの手の独占欲は、幾つになっても制御が難しいものだ。こいつのせいで、若かりし頃に殺されかけたのだから、少しは反省して悔い改めてもいいようなものなんだろうけど。
 成歩堂は、乱されたまま背中に流れていた金色の髪を手ですくうと顔を近付けた。頬にすり寄せていれば、怪訝そうな声が成歩堂を呼ぶ。
「何んだよ?」
「いや、ちょっと甘えたくなっただけ。」
「………変な奴…。」
 素っ気なく答えて、珈琲を啜るけれど、耳が赤くなっているのは隠せない。ニマリと成歩堂の口端が上がる。
「で、犯人は捕まったのかい?」
「まだみたい。一応知り合いだから、報告だけはしてもらえるようにお願いしておいたけど…あ…。」
 サイドテーブルに目を移し、響也はカップを床に降ろした。立ち上がろうとして、余計な拘束がついている。
「ちょっと、手離して。」
 名残惜しくて聞こえないふりすれば、睨まれた。それでも、しらんぷりを装い、しつこく握ったまま起きあがる。
 今度は溜息が聞こえてきた。アンタいい加減にしろよと、顔に書いてある。
「携帯がない。アンタが発情してたから、あっちの部屋に置いて来ちゃったんだと思うから、取りに行く。電話が掛かってくるかもしれないだろ。」
「え〜仕事の事なんか、忘れようよ。」
「ふざけるな!」
 ガツンと頭を拳で叩かれる。
 て〜と頭を抱えてベッドに蹲った隙に、響也が部屋を出ていく音がした。それでも、すぐに戻って来てくれるから成歩堂には全く不満はない。枕を抱き締めながら、これ(響也くん)などと腐れた事を考えていた。
 けれども、扉を開けたまま突っ立つ響也はきつい表情を浮かべ、眉間の皺を深くして携帯を耳に当てていた。

「どう…?」

 流石の成歩堂も茶化す気にはなれずに、怪訝な表情で問い掛ける。
通話を解除した右手をだらりと落とし、きつい表情のまま成歩堂に向き直る。
 真剣な表情にウキウキ気分は吹っ飛んだが、こうして見る響也の表情は男としてもかなり格好が良くて二度惚れしそうになるのだから、我ながらどうかと思う。

「……留守電に、マネージャーのメッセージが入ってた。自宅にも泥棒が入ったそうだ。」
「それは、凄い偶然だね…。」
「本当にそう思うかい?」
 いいや。成歩堂はそう告げて頭を横に振った。
「…家捜し…だろうね。誰かが何かを探している。行くのかい?」
「ええ。」
 会話を交わしながら、響也はローブを脱ぎ捨てて身支度を始めている。引き締まった身体や、褐色の肌に見惚れている訳にはいかず、成歩堂も慌ててベッドを飛び降りた。
 飛び散っている服を掻き集めて、ニット帽子をひっ掴む。
「僕もいくよ。」
 アクセサリーを首に掛けた響也は、後を追ってくる成歩堂に、ニコリと笑った。


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